胆嚢ガン 1
母が胆嚢ガンだ。
発覚は5月くらいかな。
ずっと調子が悪くておかしいな、と思っていたけれど町医者ではロキソニンしか処方されないのでほっておいたけど、あんまりにもしんどい?怠さがあるので、町医者にたのみこんで総合病院に紹介状を書いてもらい、診てもらったら即悪性腫瘍。
あらあら、という間にもうどうやら末期かしらって感じです。
ステージとかわからないんだけどね。
私は関東に住んでいて、母は大阪なので、よく知らなかったんだけど、学校も1学期の終業式が迫ろうとする7月上旬に、急に母から電話がかかってきて、
大泣き
胆嚢ガンっていってもさ、最近癌なんて結構技術も発展してきて治るっていうじゃん?
そんなつもりでおったんやけど、
医者が言うには
胃の半分
膵臓の頭
十二指腸
胆嚢全摘
などの大手術になると。
そして手術中の死亡率10パーセント。
20時間に及ぶため、体力をつけなくてはいけないが、今のままでは体力が無さすぎて手術は無理。
どうも思っていた以上に悪い。
まだ死にたくない
と大泣き。
あのー、ここ職員室の、となり!休憩中やけどね。私はめっちゃ冷静。
つらいねー、なんて言って。
母はそんな冷静な私に怒り、
もっと取り乱してよ!泣き喚いて!とまた大泣き。泣かれるとやっぱり冷静になるよね。
でも私が本当に取り乱すのは、ひとり家に帰って、母がいなくなる、と恐怖を感じた時だった。お望み通り2歳児のように泣き狂って大暴れ。
片方が泣いたら片方は落ち着くみたいで、そんな電話口で過呼吸になっている私に対して、冷静になれたみたい。
わたし、手術する!一分一秒でも長く生きる!
と豪語されました。
え?!
え、延命すんの?!
どんな形でも生きるらしいです。
ここから家族と本人との気持ちのすれ違いが始まりました。
今は手術にむけてジェムザールとシスプラチンの抗がん剤、2回目が終わって2投1休の、休みのところです。
明日大阪に行って様子を見てきます。
というのも夫が意識あるうちに顔みておきたい、と言うから。
そうなんです、、
手術なんてさ、成功しても廃人になるようなもんなんです。それについてはまた後日。
だから日帰り決行ですよ。
親子3人で6万さようなら。
全部わたしが出しますよ。
キツイなー、でも最期やからな、学校はじまってもなんとか月一は見に行くつもり。
年越せるかなあ。
急にこんなことになるなんてビックリ。
3月にはこっちきてなんやかんや楽しくやってたのにね。
不思議!
癌こえー。